東映

撮影所・制作プロダクション

解説



生誕日:2020.01.01 最終更新日:2020.01.01

東映のテレビ作品や映画作品を下請けで制作する撮影所、プロダクションの解説です。
あくまで部外者である私・鯖世傘晴が資料を集めて、なんとなくこれは言えそうだということを書いており
100%正しいかどうかはわかりませんので、ご了承ください。

白背景:現存するプロダクション
灰背景:現存しないプロダクション

京都・太秦

東京・大泉

△東映京都撮影所

主に東映映画作品の下請けを担当。
しかし、1968年4月開始『大奥』(関西テレビ)を皮切りにTV制作に乗り出す。
その後、関西テレビ制作時代劇(一部除く)や、
NETでも1972年10月開始『長谷川伸シリーズ』以降コンスタントに作品を担当し、
1976年10月開始のNET(テレビ朝日)土曜20時枠を一貫して担当した。

1991年1月16日に解散した「東映京都テレビプロ(下記)」を吸収してからは
東映制作テレビ時代劇のほぼ全てを担当することに。
ここ数年はテレビ朝日『木曜ミステリー』作品や、
旧『火曜時代劇』枠後継の単発ドラマスペシャル等を担当。

更に2016年9月に「東映太秦映像」を吸収してからは、
C.A.Lなど他社制作の下請け(BS-TBS『水戸黄門』など)も引き受けるようになった。

△東映東京撮影所

主に東映映画作品の下請けを担当。
東映東京制作所が合併する1985年10月以前は
TV作品の受注は『大激闘マッドポリス'80』など一部の作品に留まっていた。
(参考:山本俊輔、 佐藤洋笑「NTV火曜9時 アクションドラマの世界 『大都会』から『プロハンター』まで」)

1985年10月以降は、本所内の「企画製作部」が「第一企画製作部」になり、
東映東京制作所が担っていた作品は「第二企画製作部」を新設し移管。
(「第一企画製作部」は1990年6月に「第一企画部」と「第一製作部」に分離
…参考:「東映の軌跡 : the history of Toei : April 1st 1951-March 31st 2012」p.362)
尚、1993年・日本テレビの『はだかの刑事』が「第一製作部」の制作。
(参考:番組台本より)

第二企画製作部では、制作所時代から引き続き
『不思議コメディーシリーズ』や
『スケバン刑事シリーズ』やその後継作、
テレビ朝日以外のTVドラマなどを担当していたが、
90年代後半にて受注が途絶える。

2010年代に入り、テレビ朝日以外の連ドラの受注が復活し、
フジテレビ『嫌われる勇気』(2017年)などを担当した。

△東映京都制作所⇒東映太秦映像

  主に東映本社以外の会社が制作(プロデュース)する時代劇の下請けを担当。
C.A.L制作のTBSナショナル劇場(『水戸黄門』『大岡越前』など)や
ユニオン映画制作の日本テレビ火曜20時枠など。

東映元請け作品ではフジテレビ『清水次郎長』(1971年)、
テレビ朝日『風鈴捕物帳』(1978年)などがあるが、担当作は少ない。

1976年に「東映京都制作所」が閉鎖することになり
『水戸黄門』を京都で続けるために、
組織をスリム化して新しく作ったのが「東映太秦映像」である。

2016年9月1日付けで解散し、「東映京都撮影所」(上記)に合併。

△東映東京制作所

主にNET(テレビ朝日)以外のTVドラマや、
低予算の東映映画の下請けを担当。1965年11月設立。
代表作はTBS『キイハンター』、東京12チャンネル『プレイガール』や
各々の後継作品など。
 また、60年代後半〜70年代では、
NET作品でも特撮番組はこちらが担当することが通例だった。
1985年10月1日に映像制作事業を上記の東映東京撮影所・第二企画製作部に移管。
不動産事業としては残っていたが、1987年2月28日解散。

△東映企画プロモーション

1974年9月3日に設立された東映東京制作所の子会社。
主に1時間の大人向け作品を担当。事務所は新宿にあったが、後に大泉に。
1986年7月31日に解散。

△東映映像

1976年1月30日に設立された東映東京制作所の子会社。
主に30分のキャラクター作品を担当。事務所は新宿にあったが、後に大泉に。
1988年2月29日に解散。

△生田スタジオ(通称)

正式には「細山スタジオ」。大泉が労組問題の都合で使えず、
元々あった使用していないスタジオを借りていた。
1971年開始『仮面ライダー』を皮切りに、変身ヒーローものを担当。
最終作は1978年7月放送終了の『透明ドリちゃん』。
(参考:「東映の軌跡 :
the history of Toei : April 1st 1951-March 31st 2012」p.235)



△東映京都テレビプロダクション

主に東映テレビ事業部制作のTV時代劇の下請けを担当。
1964年2月1日設立。東映の100%子会社。

1964年7月開始のNET『忍びの者』が第1回作品で、
その後、フジテレビ『銭形平次』(1966-1984年)
NET『素浪人シリーズ』(1965-1974年)、『用心棒シリーズ』(1967-1969年)
NET/テレビ朝日『遠山の金さん』シリーズ(1970年-)
日本テレビ『桃太郎侍』(1976-1981年)など人気時代劇の受注を担当。

東京と違いNETに限らず受注しており、それは「東映京都撮影所」でも同様だったため、
両者のテリトリーの線引きは判別しづらい。

しかし、80年代の時代劇衰退との煽りとビデオ撮影の設備投資ができないことを受け、
1991年1月16日に解散し、「東映京都撮影所」に吸収され
担当作だった、テレビ朝日木曜20時枠『三匹が斬る!』
&『名奉行!遠山の金さん』シリーズは同社に移管。
(一部資料では1990年10月25日の解散となっている)

△東映テレビプロダクション

主にNET(テレビ朝日)のTVドラマの下請けを担当。1959年11月設立。
NETが出資していたこともあり、
60年代末頃まではNETのプロデューサーが直接現場を仕切り、
東映(テレビ部)のプロデューサーが就かないことが通例だった。
予算のオーバー分もNETが持っていたようである。

『特別機動捜査隊』『鉄道公安36号』『ある勇気の記録』『白い巨塔』など
主にNETの大人向け番組のみの担当だったが、
20時台に放送された1972年の『人造人間キカイダー』の担当になったのを皮切りに
その後も『がんばれ!!ロボコン』『コンドールマン』『レッドビッキーズ』など
子供向け番組も常時1〜2枠担当するように。

1976年の東京12チャンネル『忍者キャプター』よりNET以外の局の作品も手がけ始め、
更に1979年の『バトルフィーバーJ』からスーパー戦隊シリーズの担当になってから
次第に東映東京制作所と特撮番組担当のウエイトが逆転、
『メタルヒーローシリーズ』、『仮面ライダーシリーズ(『BLACK』以降のTVシリーズ)』
『星雲仮面マシンマン』『超光戦士シャンゼリオン』など
現在に至るまでその多くを制作するようになった。

70年代まではNETの大人向け番組での担当の枠が常時2〜4本あり、
その内、常時1本前後は時代劇も担当していた。
(おそらく1968年『日本剣客伝』が初、その後も水曜21時枠を担当することが多かった。)

大人向け番組でも、2時間サスペンスはテレビ朝日内外で活躍したが、
レギュラー番組での担当作は
関西テレビの時代劇『騎馬奉行』(1979年)のみだと思われる。

現在制作している大人向け連続ドラマは、
『特別機動捜査隊』『特捜最前線』後継のテレビ朝日水曜21時刑事ドラマ枠全作と、
木曜20時「木曜ミステリー」で放送されている『警視庁・捜査一課長』がある。

△東映大泉ビデオスタジオ

VTR撮影のドラマを局外で制作する目的で
東映、東通、テレパックが共同出資し、1978年1月20日設立された会社。
当時の名称は「東映ビデオセンター」。
最初にスタジオを貸した作品は1978年4月開始、
朝日放送&テレパック制作の『東京メグレ警部シリーズ』。
東映制作作品では1978年11月開始『孤独の賭け』など。
1979年9月1日に「東映大泉ビデオスタジオ」と商号変更。
2000年4月1日には東映テレビプロダクションに吸収合併された。
(参考:「東映の軌跡 :
the history of Toei : April 1st 1951-March 31st 2012」p.264)

「東映大泉ビデオスタジオ」時代は
東映作品では『火曜サスペンス劇場』作品や
フジテレビ朝ドラ『妻たちの劇場』枠、
フジテレビ『しゃぼん玉』(1991)などイレギュラーな枠での登板が多かった。

その他、『翔んでカップル』などのフジテレビ単独制作作品も複数担当。




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